山下公園 日本郵船氷川丸

山下公園 日本郵船氷川丸

氷川丸(ひかわまる)は、日本郵船が1930年(昭和5年)に竣工させた日本の12,000t級貨客船です。北太平洋航路で長らく運航されました。
大東亜戦争では病院船として運用され、戦後は1960年(昭和35年)まで北太平洋航路で運航を続けました。

2019年時点では、横浜市で博物館船として公開されています。
また、国の重要文化財(歴史資料)に指定されています。

船内ガイドマップ

船内には、客室をご覧いただく「客船エリア」、乗組員たちの仕事場をご紹介する「乗組員エリア」、そして、氷川丸の歴史をお伝えする展示エリアがございます。
屋外デッキでは、景色を楽しみながら、デッキチェアーでおくつろぎ下さい。

操舵室

操舵室は船の総司令室。竣工当時は海図室でした。

操舵機制御装置

この装置と舵輪と船尾の操舵機は水で満たされた細い管でつながっています。

船長室

船長専用の公室兼寝室です。

一等特別室

一等特別室は、チャップリンなど、各国の貴賓や著名人が利用したスイートルームです。

一等社交室

氷川丸のメインホールで、船内の公式レセプション会場として使用されていました。

一等喫煙室

喫煙室では、世界の上級品のお酒やたばこがそろっていました。

エントランスロビー

大画面映像と写真で氷川丸の歴史をダイジェストでご覧いただけます。

一等児童室

一等船客専用の遊戯室です。“スチュワーデス”と呼ばれる子どもの世話をする女性乗組員がいて託児も行いました。

一等食堂

一等船客専用のダイニングサロンです。

関室

現役時代のままのエンジンを見学できます。

三等客室

三等客室のあるエリア。

展示室【氷川丸の航跡】

~激動の時代を生きた氷川丸~

氷川丸は引退までの30年間に合計127回太平洋を横断しました。
日本とアメリカを結ぶ貨客船として活躍したのはもちろんのこと、戦争中は傷病兵を治癒し運ぶ病院船として、戦後は復員軍人や一般法人の引き揚げ輸送にも大きな役割を果たし、30年間を通して約9万人もの人々を運びました。

氷川丸の歴史

氷川丸の歴史

氷川丸は日本郵船が1930 年にシアトル航路用に建造した貨客船です。 当時最新鋭の船として竣工しました。戦争中は海軍特設病院船となり、終戦までに3回も触雷しましたが沈没を免れ、戦後は貨客船に戻り1953年にシアトル航路に復帰。船齢30年に達し第一線を退くまでに、太平洋横断254回、船客数は2万5千余名と、活躍しました。
1960年に引退した後、1961年より山下公園前に係留保存され、2008年に「日本郵船氷川丸」としてリニューアルオープンしました。
戦前の日本で建造され現存する唯一の貨客船であり、造船技術や客船の内装を伝える貴重な産業遺産として高く評価され、2016年に重要文化財に指定されました。

氷川丸オープンデッキ開放

氷川丸オープンデッキ開放

海を臨む開放的なオープンデッキで、横浜マリンタワー、山下公園、そして美しいみなとみらいの景色を楽しみませんか?

日本郵船氷川丸では土曜日、日曜日、祝日に、オープンデッキを開放しています。
海を臨む開放的なオープンデッキで、横浜マリンタワー、山下公園、そして美しいみなとみらいの景色を楽しみませんか?

山下公園前に係留されている全長163.3mの日本郵船氷川丸で、船上のオープンデッキが開放されます。海を臨む開放的なオープンデッキから、潮風に吹かれながら横浜マリンタワー、山下公園、美しいみなとみらいの景色が楽しめます。※船体整備期間中は、船長室と操舵室の見学を中止。

※悪天候時は中止。
貸切イベントや工事等により、予告なく中止する場合があります。
船体整備のため、当面の間、船長室・操舵室の見学を中止します。
その間、開館日は特別にオープンデッキが開放されます。

名称 氷川丸オープンデッキ開放(ひかわまるオープンデッキかいほう)
所在地 〒231 – 0023 神奈川県横浜市中区山下町山下公園地先
開催期間 通年<2021年は当面の間、開館日に毎日開放>
10:00~16:00 ※悪天候時は中止。
状況により変更・中止となる場合あり(詳細はホームページ確認要)
開催場所 横浜市 日本郵船氷川丸 オープンデッキ
交通アクセス みなとみらい線「元町・中華街駅」4番出口から徒歩3分、またはJR根岸線「桜木町駅」から26系統のバス「山下公園前」下車、またはJR根岸線「石川町駅」・「関内駅」から徒歩15分
主催 日本郵船氷川丸
料金 入館料/一般300円、シニア(65歳以上)200円、高中小生100円
問合せ先 日本郵船氷川丸 045-641-4362
ホームページ https://hikawamaru.nyk.com/event/open.html